Q.18 芸能人が引退したという報道を見ませんでしたが、校長中村はそんなに有名じゃないんですか?何故引退したんですか?
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外野のトーシローの人間としてあまりにも失敬ですからすぐさま土下座してでも謝罪すべきですね!!芸能界で一過性のブームを起こした”あの人”が何らかの事情で辞めざるを得ない事例はやたら多くありますし、必ずしも全員が全員詳細に報道されるとは限りません。それこそ、テレビや雑誌等の媒体の『”あの人”は今』のネタになります。
校長中村が引退を余儀なくされた理由は、”ある病気”による所属事務所解雇です。2005年8月の台風が去った夕方、法律系の資格試験合格を目指して毎日資格試験予備校へ自習に通っていました。その日はスポーツクラブで楽しみにしていたボクササイズのクラスがあるので家路を急ぎました。急いで捕まえるようにして乗ったバスの中で突然咳が止まらなくなり、満足に両脚で立てなくなったので雨水で濡れた床の上で寝ました。様子がおかしいと思った二人が救急車を呼びました。・
・・・・あまりにも長いので割愛します・・・・・・・
6か月の入院後我が家へ帰り、唯一出来ることであるインターネットで過ごしていました。お世話になった所属事務所のホームページから校長中村の名前と全身とアップの画像が削除されていました。
「これって事務所解雇ですか?解雇であれば写真とネガは当方の物(財産)なので返却して下さい。」と賭けに出るとご丁寧に郵送で返却されました。問答無用見事に解雇=引退を余儀なくされました。
発売予定の小冊子にキャリアの最初から最後まで詳細に書き綴りますが、
キャリアの大半をブライダルモデルで過ごしました。初めて現場へ行って1回目の本番が終わった直後に記念に控室で写真を撮りました。執筆を終えた小冊子にも掲載しています。相手役の女性モデルは、当時お世話になったモデル事務所
(日本モデルエージェンシー協会加盟の事務所なので、どれだけ本格的な雰囲気かはお判りでしょう)の看板級で、ホームページには公式プロフィールが載っているそうです。
今後、”ある病気”による4+α年の闘病記を戸籍上の名前である父方の姓の名で出版します。誰でも本の執筆〜製作〜販売は出来るって知ったので、販売して売上金の一部を”ある病気”予防の啓蒙活動の為に寄付します。まさに『余命一ヶ月の花嫁』のノリで映画&ドラマ化狙っています。転んでもただでは起きないのが校長中村の生き様です。まるで榮倉奈々と瑛太みたいだ(笑)
果たして、このような一見して誰も思いつかない位に画期的なコンセプトで学習の場を提唱し御用意した中村が芸能界で成功する程日本全国世間一般で有名だったのか?と尋ねられるとYesでもNoでもないと答えるでしょう。インターネット上では「売れない奴がこんなことやってどうすんだ」ってネットストーカーのように陰湿で執拗な営業妨害に近い誹謗中傷があったり、「はっきりいって胡散臭い!!トップページのセールスライティング(現在削除中)を二度と使うな!!」という苦情のメールを何通も送り付けられたのは紛れもない事実です。
芸能に限らず、ゴルフのようなスポーツや芸術や自動車の運転等の分野では”レッスンプロ”が実在します。
芸能の分野では、ワークショップや養成所や無名有名悪徳優良問わず芸能事務所のレッスンプログラムや芸能事務所直系スクールの講師は相当な著名な人物ではなくても現場の全てをくまなく知り尽くした”高名な経験者”であることは確かです。
要するに、発案&提唱者である校長中村が芸能界での成功者であれば、そっくりそのままを真似して欲しいし、失敗例であれば、同じような経験をして欲しくないという思いから失敗談を踏まえた経験から成功への攻略法が見えてくるし、真逆の事をすれば良いだけというのが理念です。
▼これぞ人生の黄金時代&キャリアの絶頂期への”記念日”です。
やっと掴んだ座なので、やったぜ!!みんなざまーみろ!!の気分でした。本番終了後、
控室で記念撮影をしました。一緒に組んだ女性モデルは当時世話になったモデル事務所の看板級になったそうです。現在ではそれぞれ全く別々の道を歩んでいるんだそうですね。感慨深いです・・・